2007年初頭●石炭博物館存続に向けた活動[書類]

2007/01/13 石炭博物館再開に向けて

 石炭博物館の運営計画[PDF/1,600KB]

2007/01/31 指定管理者申請書

 夕張市に提出した指定管理者申請書類 [PDF/3,700KB]

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夕張市財政破綻〜指定管理者選定までの活動日誌

2006/06/20

後藤夕張市長が、財政再建団体となる申請を行うことを市議会で表明しました。

2006/10/17

元石炭博物館館長の青木さん(郷愁の丘ミュージアムセンター長)と吉岡が会談。夕張市の財産投げ売りに備えて、石炭博物館の運営プランを独自にまとめることを決めました。

2006/10/31

吉岡が夕張JC主催のフォーラムにパネリストとして参加。開催前に青木さんと、基礎数値の収集について打合せをしました

2006/11/25

北海道産業考古学会の主催により、夕張市で石炭博物館に関するシンポジウムが開催されました。
残したいという熱意と、残すべき価値は誰にも異存はないはずで、問題なのはどうしたら残せるのかという具体的なプランがないこと。存続の署名も大きな後押しの力にはなりますが、今必要なのは存立基盤条件についての分析と、それに立脚した計画のはず…。
誰もやろうとしないので、フォーラムは早々に辞去して札幌に帰って、淡々とプランの構築に励むことにしました。本来業務を抱えながらの作業なので、余りにも時間が足りない…。でも、やるしかない。

2006/11/29 三セク破綻

(株)石炭の歴史村観光が自己破産。青木さん・熊谷さんら、石炭博物館の関係者が失職してしまいました。
夕張市が、石炭博物館をはじめとする市内の公共施設の売却先・指定管理先の募集を開始しました。応募締め切りは、1月31日。

2006/11/30

島津興業の主催で札幌で開催された、産業観光フォーラムに参加しました。
産業観光のオピニオンリーダーである、JR東海の須田相談役と、社会生産性本部の丁野さんらが講演。何度も聞いたお話しですが、自分のやっていることは、新しい観光のフロンティアであることを確認でき、ガンバロウという力が湧きます。
それにしても、鹿児島の島津家の産業遺産を保存公開し、わが国の産業観光のトップランナーである島津興業の取り組みを見ていると羨ましくなります。北炭は、堀基ら島津家縁の薩摩閥が始祖となった会社ですが、その末路は本家とは大きく違う惨めなものでした。もう一度、先祖返りして、薩摩の皆さんにSOSを求めるか…!

2006/12/02

久々に、空知の炭鉱遺産関係者が一同に集合する会議を、空知支庁の協力で開催しました。
馴染みのメンバーと新しいメンバーが25名ほど参加してくれて、1998年に空知支庁事業がスタートした時点から見ると、ずいぶん、代替わりが進んでいるようです。その間、全空知にわたって一貫して関わっているのは、北大の角先生と私の二人だけになってしまいました。
会議本番もともかく、その後の懇親会は予定時間を大幅超過してお開きに。この時の相互理解が、その後の任意団体(NPOの前段組織)の力になりました。

2006/12/28

出張、講義、講演、会議…の合間に、何とか仕上げた計画書の第一稿のための基礎データを携えて、青木さんと打合せのため夕張に出向きました。
従来の入館者数1/2スケールである年間40,000人程度でも、何とかやって行けそうな組み立てができ、チョッとだけ安心。でもこれは、あっちこっちで費用カット(特に人件費)のなせる技で、青木さんや熊谷さんには申し訳ない気持ちで一杯になります。でも、楽観的な計画は後から苦労することになるので、泣く泣く減額計上。

2006/12/31

12月29日に、愛猫“なっちゃん”を連れて、妻の実家へJR特急で帰省。本当は1月3日まで滞在する予定でしたが…数値検討がなされないままなのに報道を見て皆さんが「石炭博物館はもう担い手が決まったのでしょう」と安心しきっている気配に危機感を抱いて…急遽帰札。紅白歌合戦も見ないで、計画策定を急ぎました。

2007/01/04 ようやく計画書がまとまる

結局、大晦日から4連続の徹夜作業となってしまいました。たくぎん総研時代の30歳代ならともかく、40歳を過ぎるとやはり徹夜はつらいものがあります。

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2007/01/11

1/8から金沢大学へ行っており、この間ロスタイム。いつも金沢に行く時には、悪天候による欠航など何かありますが、今回は何と機材故障。代替機準備のため2時間遅れで小松空港に着陸。楽しみにしていた美味しい蕎麦屋「更科藤井」は、残念!正月休み。
計画書はできましたが、まだまだ次の一手を打っておかねばなりません。金沢からの帰路に寄った名古屋で、あつた蓬莱軒の「1.5人前ひつまぶし」でエネルギー補給し束の間の休息(45分!)。
帰りの中部国際→新千歳のANA機内で、指定管理者申請とNPO認証申請のための定款を作るため、ず~っとパソコンをチャカチャカ打ちながら帰りました。十和田湖上空で、ひとまず骨格だけは完成。

2007/01/12

北海道産業考古学会の山田さんと、青木さん・吉岡とで合い、石炭博物館の再生計画について一本化するよう提案し理解を得ました。産業考古学会には、こちらで手つかずの旧北炭鹿ノ谷倶楽部(鹿鳴館…という時代考証無視の変な名前の方が通用しています)の存続について、建築系や地元ガイド組織とのコーディネーションして、頑張ってもらうようお願いしました。

2007/01/13 再生プランを公表

夕張市で行った記者会見で、青木隆夫・元石炭博物館館長とともに、石炭博物館の再生プランを発表しました。
席上、記者の質問に答えて、1月31日の指定管理者応募締め切りまでに、指定管理者として応募することを明らかににしました。今後は、まず任意団体として組織を立ち上げ、同時並行してNPO設立の手続きに入ります。

2007/01/15

任意団体の名称が決まりました。
  炭鉱の記憶推進事業団(やまのきおくすいしんじぎょうだん)
1960年代、炭鉱合理化の嵐が吹き荒れていた時に、スクラップ&ビルドを行う国の機関として「石炭鉱業合理化事業団」(→現在のNEDOの前身)がありました。今回は、炭鉱を潰すのではなく、炭鉱(ヤマ)の記憶を生かす取り組みを市民主体でガスガス進めてゆこうという意図から、敢えて「合理化事業団」と対称的な「推進事業団」という、チョッと固くて古めいた名称にしました。

2007/01/16

団体の名称が決まりました…と書きましたが、やっぱりこっちの方が良いかも…という声が青木さんから挙がって、ひとまず検討段階にバックです。
  炭鉱の記憶推進会議(やまのきおくすいしんかいぎ)
19日までには決定します。

2007/01/17

1/19(金)に、夕張で指定管理者として申請する任意団体の設立会議を開催します。指定管理者となった場合(2月中旬に決定)には、すぐにNPOの認証手続きに入ることができるように、規約や役員はNPOスペックに準じて整えます。会員募集や寄付の受付は、指定管理者となることが明らかになった時点(2月中旬)でスタートします。
吉岡が、赤平に出向き、炭鉱遺産市民活動で頑張っている植村さん・三上さんに役員就任を要請しました。その後、札幌で観光関係者と会談し今後の展開について意見を交換しました。

2007/01/18

吉岡が夕張関係者の会合に参加して、今後の展開について意見を交換しました。

2007/01/19 任意団体を発足

ホテルシューパロで、任意団体の設立総会を開催しました。会の名称は、参加者で話し合った結果、炭鉱の記憶推進事業団に決定。
役員は、理事長=吉岡宏高(札幌国際大助教授)、副理事長=青木隆夫(学芸員・元石炭博物館館長)・植村真美(赤平青年会議所理事長)のほか、理事6名・監事1名が就任しました。理事全員が、夕張をはじめとした空知産炭地域の出身・居住者で、炭鉱と縁の深いメンバーばかりで構成しています。
これで、指定管理者の申請資格が備わりました。これから1/31の申請締め切りに向けて、突貫工事で作業を進めます。

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2007/01/20

引き続き吉岡が夕張に滞在。指定管理者申請に向けて、青木さん・熊谷さんとともに、損益数値の再検討を行いました。
年間40,000人の入館者で、博物館部門だけで何とか損益均衡を図るよう、諸経費をツメて頑張っていますが、やはり不安要因が幾つかあります。→Helpus!

2007/01/22 総務大臣の支援発言

菅総務大臣が、夕張市長・北海道知事に対して、昨年に夕張市がまとめた財政再建計画の大枠の一部についての条件緩和について了承しました。会談の中で菅大臣は、石炭博物館について言及し、朝日新聞によると「国のエネルギー政策の歴史そのもので残した方がいい。関係省庁に協力を要請していく」と述べたとのことです。今後、どのような支援策が出てくるのかは不明ですが、存続に向けて困っていることは多々あるので、今後の動向に期待したいと思います。

2007/01/23

今日の午前は、札幌に出てきた青木さんと一緒に、地元報道機関の幹部とお会いして状況説明と支援のお願い。午後からは分かれて、吉岡は道の過疎懇談会に出た後で、道庁メンバーと打合せ。総務大臣の支援については、ある道職員の方は「直接、補助金を出すようなことにはならないよねぇ」という観測で、私の見方と意見が一致。もらえるものは有り難いが、補助金が良いのかどうかは…?。模擬坑道の保全措置など、抜本的な施策の方が健全な気がします。
ここのところ、睡眠時間は2~3時間程度、ほとんどこれにかかりっきりです。活動の合間に仕事をしている…という感じです。

2007/01/24

網走出張の前に空知支庁に行って、これまでの経緯のご報告。JR岩見沢駅で青木さんと合流し、支庁長、地域政策部長、地域政策課長と、同じ話を3回繰り返す(だんだん話しが詳細になって行く)うちに、次第に説明がうまくなります。
昼食は、いつもの駅前「小もろ」そば。幌内線で岩見沢東高に通学していてからの馴染みの味、チョッと甘系の出汁は、いつ食べても岩見沢にいることを実感させてくれる。ランドスケープ、サウンドスケープとともに、テイストスケープというのもありだなと思わせる味です。私はやはり蕎麦好きで、更科食堂(三笠市幾春別)しかり、藤の家(夕張市本町)しかり。
その後、札幌へ戻り、丘珠空港へ。空港連絡バスは400円と高いので、札幌駅北口から中央バスの航空管制センター行に乗って200円節約。都市間バスの間合い運用車両でラッキー。丘珠空港は断続的な吹雪で、天候調査表示が出ていましたが、吹雪の合間を見て何とか離陸して網走へ。

2007/01/26

1/26までの網走市職員研修が終わり、炭鉱遺産を発掘する契機となった空知支庁独自事業の初代担当部長だった大橋さん(網走支庁副支庁長)を訪ねて支庁へ。予告なしで飛び込んでみたが、たまたま在室中でお会いすることができました。
その後、晴天の女満別を離陸したまでは順調だったのに、新千歳着陸直前に天候が急激に悪化、日高門別上空で1時間旋回した後に、ついに燃料切れで帯広空港に代替着陸して運航打ち切りになってしまいました。その晩はJAL手配のワシントンホテルに1泊、その間飲まず食わずで、夕食にありついたのは23:30時過ぎでした。指定管理者申請書類の作成作業をしようと思っていたのに…結局何もできずじまい。

2007/01/27

翌日は…夕方までのJR指定席が全列車満席で、結局、釧路始発のスーパーおおぞらは自由席車内に乗り込んではみたものの空席がなく断念、昼の帯広始発のスーパーとかちで、夕方札幌にたどりつきました。
この日は、夕張除雪ツアーの第一弾だったですが、結局参加できずじまい。他の皆さんに作業を託し、自分は札幌に帰って、前の晩にやろうとしてできなかった、石炭博物館の指定管理者申請の書類づくりを継続。結局、翌朝5時までかかって作業しましたが終わらずに、チョッと仮眠して夕張へ。

2007/01/28

ほとんど寝ない状態で、大谷地発11:50の夕鉄バスで夕張へ。藤の家で蕎麦を食べたり、ホテルシューパロでコーヒーを飲んだりしていると、道新元夕張支局長の渡辺さんなど、いろいろな人と出会います。青木さん、熊谷さんと、指定管理者申請書類の最後の打合せ。採算計算書は完成していますが、肝心の運営計画書がまだ未整理で、15:45発の中央バスで札幌にとんぼ返り。寝不足と疲れで首がパンパンに張って頭が痛い…いつものカイロに行こうとするが予約一杯で行けず、頭痛をこらえながら作業を継続。

2007/01/29

指定管理者申請書の夕張市役所との事前協議をしに行った青木さんから連絡があり、書類の中の「身分証明書」は市発行のものでなければダメとの連絡。大学発行の身分証明書など添付しておいたのですが、市が身分証明書を発行するの?…と札幌市のHPを見てみると、何とありました。知らなかった。大学近くの清田区役所で発行依頼すると、「禁治産又は準禁治産の宣告の通知を受けていない…」といった内容の証明書が出てきました。今日もまた、残った書類をシコシコと作成…。首の痛みは少し和らぎ作業が進みます。

2007/01/30

申請締め切りの前日ですが、午後から社会学系の大学の先生方が科学研究補助金で取り組んでいるプロジェクトの研究会に、青木さんと一緒にゲストとして招かれ、札幌学院大に行ってきました。1980年頃に、夕張の北炭平和鉱と三菱南大夕張鉱を中心として、大規模に行われた社会調査の膨大な資料があり、これを今日的に評価してみようというプロジェクトです。この調査自体は、私が炭鉱の中で育ち見つめてきた視点とは異なるもので、解釈に違和感がある部分も多いのですが、炭鉱が生きていた頃の夕張を切り取った貴重な資料であるということは間違いなく、これだけ大規模な社会調査を行ったことは評価に値します。この調査へのある種の反発が、私が経営や空間という視点から地域を見てみようと思ったキッカケとなったので、今日の研究会は感慨深いものがありました。
終了後は新札幌で懇親会、21時過ぎに帰宅し、それから指定管理者申請書の印刷を始めて、完全に製本まで完了したのが午前3時頃。それから、情宣ポスターを作成し、あぁ今日も徹夜になってしまったと思った矢先に…

2007/01/31 指定管理者申請書を提出

…朝6時にNHKの安江さんから「道新みましたか?」と息せき切って電話がありました。急いで朝刊を見てみると、何と一面トップには「加森観光が一括申請」とあります。おお~っと、眠気も吹っ飛ぶ大ニュース。何か、良い方向へ動いてゆく予感がします。
我々も指定申請する方針は変えず、11時の夕鉄バスで夕張へ。選定されるかどうかは別として、石炭博物館に最も精通する団体という評価を得ることができれば、何かの時にキャスティングボードを握ることができ、望ましい博物館へ作用させることができるかも…という考えからです。そのために、申請書類は、市民団体にしては相当な水準の書類を作成しました。カネも力もない少数派としては、小粒でもピリリと辛い作戦しかありません。
青木さん、理事の佐藤裕子さんと合流して市役所に行ってみると、報道陣がいるわいるわ…。あれだけのカメラに囲まれた経験は、そうありません。報道陣注視の中、市に指定管理者の申請書を提出し、カメラとマイクに取り囲まれインタビューに応えます。市民団体は情報公開が持ち味なので、各社に申請書類を配布。これをやるのは、うちの団体くらいでしょう。20部持ってきたのが、あっと言う間に完売です。2~3社が取材に来るかな…と軽い気持ちでいたのですが、念のため多く持ってきて良かった。
加森ご一行様は、私たちの15分前に手交していったとのことで、バッタリ鉢合わせとなるところでした。市役所から出る時には、夕張市の職員を採用したいと言っている兵庫県川西市の市長とすれ違い。
その後、街角に市民向けの情宣ポスターを張り出しました。これまでの博物館は、行政意向に沿った運営で市民との関わりはほとんどなかったので、早速その反省にたったアクションです。これで今日の予定は終わり。昨年末から続いた一連のキャンペーンもひとまず一段落で、あとは2/5の指定管理者選定委員会後の結果通知までは、久々の一服状態です。青木さんと藤の家に行って、「肉そば・つけ麺・具大盛り」を堪能しました。昨年の大晦日は、急遽札幌に帰ってきて作業するという状態だったので、これが年越し蕎麦のようなものです。
報道陣から、もう一社手強いのが出るらしいですよ…と耳打ちされていたのですが、札幌に帰ってみると、街頭のオーロラビジョンに写されたHBCニュースで、まさにその会社の担当者へのインタビューを放映していて、再びびっくり…。ひょっとして…そんなことも…と考えていた小粒ピリ辛作戦の出番が来てしまうかもしれません。
思わぬダークホースが現れ混沌としていますが、たとえ我々が選定されなくても、三セク時代の反省をしっかり踏まえて、北海道の歴史遺産としての認識が明確で、企業と市民がともに補いながら支えるという構図を理解して頂ける会社へは、協力は惜しまないつもりです。

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2007/02/05

夕張市役所で選定委員会が開催されましたが、5時間の審議の末、今日は結論が出ないで終わりました。次回は2/13(火)、スキー場を申請している3社に対して、ヒアリングを実施するとのことです。世間の注目を浴び、個別申請から一括申請まで多々あって、非常に難しい審査だと思いますが、4月の再開まで間がないことら、一日も早く決着してほしいところです。
我々団体は、審査結果を待って、次の対応を考えることになります。当初は2/12か2/15にNPO法人設立総会を考えていましたが、日程を再設定することにしました。

2007/02/07

北海学園大で樽見先生・加藤知美さんと、夕張第二市役所構想のコンセプトワーク。いろいろな人が夕張を応援しまくっているので、もう少し様子をみようというこになりました。
2/8~2/11は教育大函館校で「地域過疎化論」という科目の集中講義のため函館へ。講義では、最もホットな夕張問題を教材に使います。丘珠空港に向かうと…吹雪、嫌な予感はしたのですが…釧路からの到着便が旭川空港にダイバードしてしまい欠航に。仕方なくJRで函館に向かいました。

2007/02/11

道南シリーズ終了。帰りのANA便は…今度は釧路空港が吹雪のため函館→丘珠となる機材が2時間遅れで函館到着。丘珠空港の運用時間内に到着できないため、またまた欠航。ですが新千歳行の臨時便が運航されたため、これに乗って何とか札幌にたどり着きました。予定よりも3時間延着。

2007/02/13 加森観光が指定管理者に選定

石炭博物館を含む夕張市観光施設の指定管理者に加森観光(株)が選定されました。石炭博物館の他に、旧北炭鹿の谷倶楽部、炭鉱生活館、SL館についても、加森観光が指定管理者となり、これで炭鉱関係施設は一括して存続することになりました。
これまでの夕張市の手法に対する不信を、市民団体の運営によって払拭できるのではと期待しておられた多くの方から、当団体が指定管理者に選定されなかったことに対して惜しむ声を頂き、大変ありがたく受け止めています。
ただ当団体は、石炭博物館に誰も応募しない(または模擬坑道を電飾ギラギラにしてしまうような…適切ではない社が応募する)という最悪の場合を回避したい一心から、財政基盤など条件が整っていことこを承知で敢えて応募に踏み切った経緯にあります。
そのため、博物館周囲の施設が一切復活しない(遊園地の廃墟の中に石炭博物館だけが残される)という事態を想定して、年間40,000人(休止直前は80,000人)でも開館できるよう最も厳しい条件を設定しました。その結果、博物館スタッフの配置や給与水準、模擬坑道の維持管理費、関連施設(旧北炭鹿の谷倶楽部・炭鉱生活館・SL館)の再開など、多くの面で十分ではない内容にせざるを得ませんでした。
今回、加森観光(株)が指定管理者となることによって、夕張市の観光施設が一括再開することは、石炭博物館だけではなく、夕張市の産業経済にとっても良かったと考えています。
ただ、市民団体でできることに限界があるように、企業でできることにも限界があります。そこで今後は、炭鉱の記憶の歴史・文化的な側面や、空知産炭地域の広域的な結びつきなど、企業ではカバーできない面を、私たち市民団体が積極的に取り上げて活動を進めて行きたいと考えています。各施設が一括して再開できることによって、様々な事業をようやく構想できるレベルになりました。
市民団体と企業とのパートナーシップのモデルとなるような取り組みが展開できればと思っておりますので、今後ともご支援よろしくお願いいたします。

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2007/02/14

理事長の吉岡が加森観光(株)を訪れ、加森社長と今後の展開についてお話しをしました。
4月の再開まで1.5カ月しかありませんので、加森観光としても相当大変な作業となるのではないかと思います。当団体としても、できるだけ早期にプロポーザルを取りまとめたいと考えています。

2007/02/17

除雪ツアーで夕張に行ってきました。1/27に続き第二弾で、今回は約250名の参加者がありました。
大夕張鉄道保存会の皆さんをはじめ炭鉱遺産関連団体と個人の皆さんで、SL館の雪おろしを行いました。250名が各所に分散配置されたことからSL館の除雪は十分に手が回らず、屋根の薄い部分だけ何とか雪おろしをするので精一杯でした。
NPO法人北の民家の会の皆さんには、加森観光へのプロポーザルの一項目となる旧北炭鹿の谷倶楽部の冬季積雪時の施設ダメージについて現況調査をお願いしました。一週間前に他の団体が来て除雪してくれていたにもかかわらず、雁行建物の接合部分には再び雪がたまっており、除雪しながらの調査となりました。調査終了後は、人手不足のSL館に回ってもらい、さらに除雪…お疲れ様でした。

2007/02/18

みかさ炭鉱の記憶再生塾が、三笠市民会館で開催している夕張美術館の移動展に行ってきました。伊佐治さんが終日孤軍奮闘しており、結構なギャラリーが見にきてくれていました。初日の昨日(2/17)には、解良塾長が設営や展示解説に大活躍だったとのことです。会期は2/20まで。その後は、規模を縮小して赤平でも開催される予定です。

 

2007/02/19

NPOの事業内容の再検討について打ち合わせるため、夕張へ行ってきました。夕張に行くたびにいろいろな方に出会うのが、最近の特徴です。今日も、道庁・空知支庁・選定委員会メンバーという道央勢だけでなく、釧路・宇都宮・松戸…道内・全国から来た方と行き会いました。帰りがけに、夕張観光協会の高村理事長のところにご挨拶。今まで何回か伺ったのですが留守で、ご挨拶が延び延びになっていました。
明日からは道東遠征シリーズ、2/20釧路・2/21浜中・2/22帯広+鹿追です。

2007/02/20

今日から道東遠征。丘珠~釧路間はANAのDHC-8で。今年になって始めてまともに飛んで無事釧路空港着。2/20は、道新釧路支社の久田さん(釧路の前は空知総局)・鈴木さん、釧路市博物館の石川さんと、空知の状況説明と協力をお願い。
2/21は、北海道で著名なNPOであり認定NPO法人でもある「霧多布湿原トラスト」(…実は吉岡も理事の一人)へ、三膳理事長・瓜田副理事長・伊東事務局長から、NPO活動の知恵を授かりに行く。
2/22は、浜中から釧路経由帯広へ。十勝支庁の職員研修会に出てから、夜は鹿追町の観光戦略会議。新得から特急に乗り、札幌へたどり着いたのは23時近く。

2007/02/28

加森観光が、夕張に現地法人「夕張リゾート」を設立、社長には加森観光の西田社長室長が就任しました。

2007/03/01

空知支庁にNPOの事前相談。その後、支庁担当者と2007年度支庁独自事業の相談。
夕方からは、みかさ・炭鉱の記憶再生塾の会議。

2007/03/03

午後イチには札幌で、北海道炭鉱遺産ファンクラブ(略して…炭鉱[ヤマ]ナビ)の設立総会。席上、吉岡が炭鉱遺産の価値と意義について講演しました。NPOの設立総会を、夕張市ホテルシューパロで開催。定款、役員などを決定し、無事、終了しました。この日は、夕張市外在住の理事は夕張に泊まり込むことにしたため、引き続き懇親会。途中からNHK安江さんも合流し、お開きになったのは1時近く。

 

2007/03/05

NPO申請書類の修正事項について、空知支庁担当者の坂上さんから連絡がある。夕張関連団体ということで…支庁・本庁ともに、超特急で書類チェックしてくれているようです。こちらも頑張って、すぐに申請書類を修正し、空知支庁に提出。

2007/03/08

NPO申請書類が全てOKとの返事がありました。修正指摘によって、改めて理事の印鑑を取り直さなければならない書類が何枚かあるのですが、スピードが追いつかないぐらい…嬉しい悲鳴ということころです。

2007/03/09

午前中は、夕張リゾート(加森観光)の西田社長と打合せ。こちらの活動計画案をまずはご説明という段階。
北海道遺産の全道会議が札幌で開催されたので出席。当団体の植村副理事長が、パネルディスカッションでの会場からの話題提供役として指名され、そらち炭鉱遺産の取り組みをアピールしました(珍しく…ちゃんと日本語になっていた…準備してきたんだろうなぁ)。

2007/03/13

NPO申請書類を、空知支庁に提出。これから2ヶ月の縦覧期間を経て認証となります。事前相談から、わずか2週間。このペースでゆくと、6月には認証、設立登記まで進めそうな感じです。その後、空知支庁の観光のフォーラムを聴講。さらに終了後には、地域政策課の皆さんと、支庁独自事業のご相談。

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